晴天の白い巨木

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悲しみに溺れる前に天を見よ
迷い帰れなくなったのならば見続けよ
降り注ぐ雨は永遠に地を打つことはない
ならば鏡を見よ
その雨も同じである、信じたものを希望とせよ、それが汝の傘となるのだ


「どっかの偉人さんの言葉かい?始めて聞くね」

溢れんばかりの日光は、白色の空が閉じ込めて全てが地へ届くことは無い。
大きな車輪が石を跳ね飛ばし、お返しに振動を返してくる。
寂れた道を進む商隊に揺られながら、何気ない会話を紡ぎだす。

「偉人じゃない、俺の恩人の言葉だ、知らなくても無理はないかもな、今まで出会った人も皆知らなかったよ」
「降り注ぐ雨は永遠に地を打つことはない、か……そう願いたいね」

手綱を握っている男は道の先を眺めながら、切望するように小さく笑った。
後ろに腰をかける男は、前の男の背中を横目で見ながら足を組み直す。

山の切れ目から巨大な木がこちらを覗いている、聳え立ち天まで貫かれたその木は「レインツリー」と呼ばれているそうだ。

「噂には聞いていたが本当だったんだな」
「レインツリーか、『街の傘』なんて呼ばれたりしてるな、別に街を守る為に立ってるわけじゃない、人があそこに街を作っただけなんだがね」
「いや、俺が言っているのは雨の方だ」

そっちか、と言わんばかりに手綱を握っている男は肩を竦めた。
サンツァレー、通称「雨の街」、この町に来る者は必ず二つの噂を耳にする。
「天を貫く巨木」と「雨の街」、サンツァレーは巨大な木のふもとにある街であるが、同時に雨の街とも呼ばれている。
それは何の比喩表現でもなく、本当に年中雨が降っているからだ。
レインツリーが、『街の傘』なんて呼ばれるのもそのせいだろう。

「しかし皮肉だね、昔は『晴天の巨木』なんて呼ばれていたんだが、今じゃ意味が逆になっちまったよ」

男は腰に巻いている袋からブルーグミを取り出して頬張りながら喋る。
ちょうどその時、商隊は山を抜け、一面に景色が広がった。
正面には巨大な木、そこへ行く唯一の道は、当時の人々が作り上げた一本の橋であった。

「凄いな、一面海じゃないか」
「雨のおかげさ、15年も降り続けばこうもなる、それより俺はこの大きさの橋を作った先人の方が凄いと思うがね」

15年前には晴天の巨木と呼ばれていたあの場所が、今ではこの雨だ、15年前に一体何があったのだろうか。
まあどうでもいいことだ、俺はこの街に引っ越してきた訳じゃない、ちょっと用事があるだけだ、歴史なんて知る必要もなければ覚える必要もない。

「疲れたろ?馬車の操縦かわろうか?」
「はは、お節介な奴だ、俺の仕事が無くなっちまうよ」
「そうかい、それじゃついたら教えてくれ」

帽子を深く被り、一眠りした。
目覚める頃にはついている筈だ。


◆◆◆◆◆


羽をもがれた鳥は、再び天へ舞うことは無い
しかしその足に夢を託すのは、かつて見た空を願うから
その場所で天を見上げるのは、かつて羽ばたいた夢を思うから


◆◆◆◆◆


「それじゃぁ、良い旅をな」
「そっちこそ、繁盛しろよ」

先程までは雨が降っていたのだが、レインツリーの葉の内側ではそんなことは無い。
『街の傘』は巨大な木の根に並んでいる街を降り注ぐ雨から守っている。
それはさて置き俺は用を済ませるとしよう、何てこと無い、古い友人に会いに行くんだ。

街は外より少し暗い、それも『街の傘』の影のせいだろう。
溢れる人々の波に流されないよう地図を見ながら歩く、やがて人の少ない道に入ると、教えられた赤色の屋根の家が見えてきた。

「もう何年ぶりだ?アイツ俺のこと覚えてるかな」

先程より少し早足になりながら、道を急ぐ、そして教えてもらった家の前へ来た。
一応友人の家か確認し、ノックする、すると一人の男がドアを開け出てきたので、お土産の入った袋を見せると友人は黙って受け取り、中身を確認すると、ため息交じりに笑った。

「久しぶりに来たと思えば、相変わらずお節介な奴だな、まあ入れよ」
「同じこと今朝も言われたよ、そっちも変わってないな」

ランプの光で仄かに照らされた部屋で、柔らかい絨毯の感触を味わう。
お互いに随分年を取ったものだが、不思議と友人は昔と変わらない雰囲気だった。
煙草を取り出して友人に渡し、2人で一服していた。
ソファーに深く座り、煙を一息に吐き出した友人はそのまま口を開く。

「そういえば恩人には会えたのか?」
「いや、あれから一度も会ってないよ」

恩人、俺は昔ある人に助けられた、泣き続ける俺に手を差し伸べてくれた、そして世界の光を見せてくれた人だ、それから間もなくコイツと出会い、今までずっと仲良くしている。
恩人は凄い人だった、僅かな付き合いではあったが、同じ人とは思えないほど優しくて、何より世界を知っていた。
もしかしたら人では無かったのかもしれない、最近はそうも思えてくる、でも俺は感謝をしている、人であろうがなかろうが。
だからいつか恩返ししたくて、世界中を旅しているんだ、この街に来たのは2つの理由があった。
一つは古き友人に久々に会うこと、もう一つはこの街を少しだけ持っていくこと。
俺は世界中を旅している、世界中の場所の象徴というか、些細なものでもいい、それを小さなビンに詰めて歩く。
いつか恩人に再び出会えたら、世界の少しずつが詰まったそれらをプレゼントしたい。
喜んでくれるかはわからないが、それが俺に世界を見せてくれた恩人への、俺が思いつく一番の恩返しだ。

「世界を少しずつか、見せてくれよ、今度はどこまで行ってきたんだい?」
「ふふ、世界の果てさ」

友人がコーヒーとブルーグミを持ってきた。
そういえば商隊の男も食べていたな。

「うまいな、これ」
「だろ?サンツァレーの名産品だ、このグミにはちょっと皮肉めいた話もあるんだぜ?」
「へー本当かい?俺の冒険の話の前に是非聞いておきたいね」

友人が言うには、ブルーグミは昔サンツァレーで作られた「青空」を模した名産品であったらしい、美しい空と共に人々が平和を誓った証だとか。
しかし暫くして戦争が起きた、15年前、戦争の最中に雨が降り始めたらしい。
サンツァレーは隣国に勝利したが、降り続く雨のおかげで木のふもと以外の街は流されてしまい、それが今の街となっている。
今じゃ降り続く雨は巨木レインツリーの涙なんて呼ばれていて、それに例えてブルーグミの青は「涙雨」を模した名産品になったそうだ。

「塩味が効いてるのはそのせいさ」
「なるほど、皮肉な話だ」
「でも美味しい」
「それも皮肉だな」

俺はブルーグミを小さな新品のビンに入れ、それからは真夜中まで俺と友人の何気ない会話が続いていた。


◆◆◆◆◆


あの人は誰よりも優しく、誰よりも厳しかった。
あの人は誰よりも笑い、誰よりも泣いた。
あの人は誰よりも強く、誰よりも脆かった。
だから私には見えなくなりました、だからこそ私は目を凝らして見るのです、溢れんばかりの涙と共に。
いるかもわからぬ世界の果てを、誰よりも大切なあなたを捜して。


◆◆◆◆◆


「もう行くのかい?」
「ああ、悪いな、人生は短いんだ」


悲しみに溺れる前に天を見よ
迷い帰れなくなったのならば見続けよ
降り注ぐ雨は永遠に地を打つことはない
ならば鏡を見よ
その雨も同じである、信じたものを希望とせよ、それが汝の傘となるのだ


「恩人の言葉か、良い詩だね、ほら、俺からのプレゼントだ、この手鏡を持っていきな」
「お前も大概お節介だな、俺のはもう一つ持っているんだが」
「2つあれば誰かと二人で泣けるだろ?彼女でもできた時使いな」
「方々(ほうぼう)旅する優柔不断な男に彼女ができるかね?お前こそいい加減嫁さん貰えよ」

朝、古き友人と笑い会って分かれる、暫くは会うことはないだろう、俺はもうすぐこの町を離れる。
ふと額に冷たいものを感じた、水滴が落ちてきたのだろう、レインツリーの上では今でも雨が降っているんだ。

「…………そうか、それも悪くない」

上を見上げながら呟く、ブルーグミも良いが、あの木も少しだけビンに詰めていこう。
どうせ詰めるのなら頂上が良いな、少し準備するか。

優柔不断な男は、『街の傘』の頂上を目指す、高いところからこの世界の光を見るのも悪くは無いだろう。


◆◆◆◆◆


羽の無い私が天から地を見下ろすことはありません
あの人を捜すこともできません、だからせめて高い場所へ
家より高く
塔より高く
山より高く
この目が届く限りの、遠くを見れるように


◆◆◆◆◆


「レインツリーを登る?アンタバカじゃないのかい?」

登る為に必要な道具を集める為、店を転々としていたのだが、どうも予想以上に大変らしい。
上へ上がれば空気は薄くなるし、雨でよく滑る、おまけに寒い上食料も大量にいる。
昔は挑戦した人は何人もいたが、死人が出たこともあって、レインツリーを登るのは禁止になったそうだ。
仮に始めても頂上まで一週間はかかるとか。

「命がいくつあっても足りないし、見つかれば捕まっちまうよ」
「でも頂上から見る景色は絶景なんでしょうね」
「そりゃ晴れてたら最高だろうね、ここら辺じゃ一番高い場所から見渡せるんだ、それを夢見て戦争前はよく登ったもんだ」

レインツリー、それが「雨の木」と呼ばれるようになってからは人々は登ることをしなくなったという。
ならばどうしたものか、しかしせっかくなら拝んでみたい、世界の景色を。
そして頂上の一部を持ち帰りたい、それが俺の生きがいであり、人生だからだ。

「まぁ旅人に旅をやめろと言ったって聞く筈が無いしね、買いたいならセット一式売るよ、ワシも昔は登ったからね、ついでにこれも持っていきな、サンツァレーの名産品、ブルーグミだ」

華やかな時代に訪れた、辛い時代。
それを乗り越えてきた人々は、昔を思い、願うのだろう。
晴れでも雨でも聳え立つその木は、生まれついた頃から見続けた、街の象徴なのだ。

「登るなら北側が登りやすいよ、本当は東側が一番登りやすいんだけど、人が登らないように警備されてるからね」
「ありがとうございます、帰ってきたら見えた景色報告しにきますよ」
「わざわざそんなことしなくてもいいが、体には気をつけなよ」

かつて夢見た景色をもう一度、誰かが見ようとするのならば、そこに夢を託す。
そんな人の店を後にして、俺は頂上へと向かった。

目に冷たいものが入る、恐らく水滴だ。

「涙雨か、ひょっとしたら木の神様が本当に泣いてるのかもな」


◆◆◆◆◆


――――――誰?
私に近づくその熱は
もしかして、あなたなの?
もう少し待てば、あなたに会えるの?
私が見つけられなかった、あなた
もうすぐ私の震える手を、握ってくれるの?


◆◆◆◆◆


レインツリー、それは想像以上に巨大な木だった。
あまりにも巨大な為、しがみついて登るなんてことはしない、蔦や木片を手で掴みながら歩くのだ。
葉と枝の切れ目から見える空、下を埋める街、それを眺めながら、上へと向けて歩く。
洞窟のように穴が開いている場所があれば、そこで休み、寝る。
木の幹に手を置くと、悲しいような、寂しいような、そんな温もりを感じた。
小さなビンを手にとって、頂上で入れるものを考えながら歩くのは楽しい。
草やキノコが生えていて、小動物が歩き回る。
やがて幹が分かれると、どちらへ行くか決めなくてはならない。
頂上へ行きたい思いから、大きい幹を選ぶ。
枝分かれはどんどん進んでいき、道はどんどん狭くなる。
高くなるにつれて、空気が薄くなり、息切れが早くなる。
刻まれる胸の鼓動が、疲れなのか、頂上への期待なのか、区別がつかないほどに。
流れる雨の量も増えてきて、足場が悪くなっていく。
ここにきて初めて死を覚悟する、丁寧に、一歩一歩確実に歩く。
休める場所も減っていき、歩きづらくなっていくが、幹と葉で隠れていた空が見えた。


◆◆◆◆◆


――――――足音、呼吸音、段々と近づくあなた
あなたなの?
私を見つけてくれたの?
涙が止まらない
体から水分が無くなってしまうほどに
前もぼやけて見えなくなっていく


◆◆◆◆◆


「頂上まであと少しだ……」

食料が半分を切ろうとしていた、磨り減った靴の裏は、余計に足を滑らせる。
もう既に7回目の日が昇った。
雨を凌ぐ為に合羽を着ているが、雨はいっそう激しく降り注ぎ、体の熱を奪おうとする。
しかし見下ろす景色の感動に、胸が熱くなっていった。
ブルーグミを食べながら、やっと見えた街の傘の頂上、あそこまで登りたい、あそこから世界を見たい。
急ぐ気持ちを抑え、踏み外さないよう、一歩一歩、手も使い、ロープも使い、ゆっくり歩く。
巨大な木に生える、巨大な葉は、一つの公園のように大きい。
自分がまるで蟻になってしまったのではないかと錯覚する程だ。
一番高い位置に続く枝の下まで来たとき、俺は不思議な光景を見た。

――――巨大な一枚の葉の上で、雨に打たれ続けながら座り込んでいる女の子がいたのだ


◆◆◆◆◆


違う、あなたじゃない
涙で姿も見えないけれど
この温もりは、あなたじゃない
雨の音が邪魔で、聞こえづらいけれど
この吐息は、あなたじゃない――――


◆◆◆◆◆


頂上の枝の、頂上の葉、辿り着いたその場所で、俺の前には――――――

一人の少女が泣いていた。


擦り切れた服、千切れて短くなってしまった白い羽、この少女は恐らく人間ではないだろう。
どこか恩人の面影があったが、俺の知っている恩人ではない、そう思えた。
ふと降り続く雨は、この少女の涙なんじゃないかと思えたが、根拠も無い話だ、雨に打たれながら荷物を漁る。
そこには2つの鏡が出てきた、何を思ったわけでもないんだが、それを見てお節介な俺は呟いていた。


悲しみに溺れる前に天を見よ
迷い帰れなくなったのならば見続けよ
降り注ぐ雨は永遠に地を打つことはない
ならば鏡を見よ
その雨も同じである、信じたものを希望とせよ、それが汝の傘となるのだ


泣いていた少女は俺のほうを見てきた、溢れんばかりの涙を拭って。


「俺の恩人の言葉さ、辛くなったり、泣いている人を見たらよく思い出すよ」

――――――違う、この人は違う人だ、だけど……

「俺の友達にこの前会ってきたんだけどさ、この言葉喋ったら俺もう持ってるのに鏡くれたんだ」

――――――誰なの、こんな場所まで、雨に打たれて

「彼女ができたら2人で使えだってさ、とんだ嫌味だよな」

――――――私はあなたを知らないのに、何で私に構うの?

「ほら、一個あげるよ、俺は2つもいらないしな」


少女は黙って鏡を手に取ると、座ったままそれを見つめていた。
そこには頼りなく座り込む自らの体と、頬を伝う涙が映されていた。

「止まない雨なんて無いっていうけど、根拠のない話さ、未来永劫降ってるかもしれないね、でも俺はたまには止んで欲しいとは思うかな」

男は自分の顔が映った鏡を見てから、それをポケットにしまって語りだした。

「名も無い旅人の独り言でも話そうか、あんたは俺の恩人にちょっと似てるんだよね」


降り注ぐ雨に打たれながら、一人の男は合羽についた水滴を払う、そして沢山の小さなビンを取り出して、そこに詰まった思い出を語った。
少女は黙ってそれを聴く、何も言わず、ただ涙を流しながら。
一通り冒険を話し終えた時には既に日は暮れていた。
それでもただ黙って見つめる少女を見て、男は少し考えてからブルーグミを取り出した。

「あんた、この木の下にあるサンツァレーって街知ってるか?」

少女は何も答えず、ただ男を見つめていた。

「これブルーグミって言って、下にある街の名産品の、たわいもないお菓子なんだけどさ、ちょっとした皮肉めいた話があるんだよね、聞くか?まぁ友達の受け売りだけど」

男はそれを口に放り込むと、もう一つ取り出して少女に渡す、少女はそれを食べると初めて口を開いた。

「あなたは誰?何故私に構うの?」
「お、喋れるんだな、まぁ俺はただの旅人さ、あんたには構いたいから構うんだ、周りにはよくお節介な奴って言われるよ」

男はもう一個グミを取り出すと再び少女に渡した。

「そんなことよりそのグミ青いだろ?昔は青空の青色だかで作られたらしいんだ、でも今じゃ何の青色って呼ばれてるか知ってるか?」

少女は俯きながら黙って首を横に振った。

「涙の雨の青色だってさ、塩味が効いてるのはそのせいさ、皮肉だろ?」

男は豪快に笑うが、少女はただ涙を流しながら話を聞いていた。

「この雨が止んで、また15年前みたいに青空が街を覆ったときには、このお菓子の塩気も抜いて作られるんだろうね」

一息ついて男は少女に背を向け、そこに胡坐を掻いた、グミを食べながら小さなビンを指で摘み、一つ一つ戻していく。
それを見ていた少女は自分の千切れた羽を一つ触ると、寂しそうに語りだした―――――

「私は、ある人を愛していたんです」

「…………………」

その人は、ただの人間でした、しかしその人は私より世界を知っていました。
色々なことを話してくれて、私はそれを聞いていたんです、彼は楽しそうに、時に悲しそうに物語を語りました。
私を色々な物語へ連れて行ってくれる、そんな彼に私は恋をしたのです、しかし私の家族はそれを良く思いませんでした。
だから羽を毟られ、地へ堕とされたのです、それでも彼と出会えて嬉しかった。
だけどある日、戦争が始まりました、それから彼の姿を見ることはなくなり、私は彼を探そうと木へ登りました。
ずっと、ずっと捜していましたが、ある日彼はもう帰ってこないのではないかという思いが浮かんで。
それから涙が止まらないのです、悲しくて、会いたくて…………

「あなたは彼に少し似ている気がします、話し方とかは全然違うけど、雰囲気や、世界の色々なことを知っているところも」

「……もしかしたら、あんたの好きな男は、俺の恩人かもしれないな、俺も恩人のおかげでこうして世界を周っているんだ」

辺りは真っ暗になり、夜空は雲が覆い、星を隠す。
男は鏡を取り出して、涙を流している少女を映した。

「一つ言えることは、俺がその男だったら、こんな湿っぽい場所には帰って来たくないな」

少女はただ俯きながら、黙って話を聞いている。

「あと旅をして気づいたことなんだが、一つの場所から見渡せる景色には限界があるんだ、あんたこの世界が丸いって知ってるか?」

男は煙草を取り出して、火をつけようとしたが、湿気って使い物にならなくてっていたことに気づき、再びポケットにしまった。

「つまりどんだけ高いところへ登っても、この世界の反対側は見えないんだよ、あんたが神様か何かは知らないが、この世界は多分、あんたが思っているよりかは広い、色々な意味でな」

荷物を整理しながら、持ってきた食べ物を口に放り込む。

「高い場所から見下ろすと、広い世界が見えるんだわ、でも小さい世界は見えなくなる、何が言いたいかって言ったら、ここで泣いてちゃその人はきっと見つからないってことだ」

男は大きな枝についている小さな枝を折ると、ビンへ詰めた。
それから少女の傍により、抜け落ちている羽を拾って言う。

「俺に羽は無いが、山を越えれるし、海を渡れるし、空は……まぁ飛べないけど、でもこの巨木の頂上にも来れた、ここから世界の裏側にだって行ける、多分二度とあんたに会うことはないだろうけど、これから出会う色々な人にあんたとの出会いは思い出として話すつもりだ」

男は新しいビンを取り出して、羽をそこに入れる。

「恩人に出会えたら、この羽を渡して、あんたのことも話しとくよ、『あんたに恋した女の子が木の上でずっと泣いてましたよ』ってな」
「え、待って…………」
「旅人は待たないもんだ、人生は短いんでね」

遠い地の彼方に見え始めた太陽は、白い空の向こう側を橙色に染めた、その光は降り注ぐ雨を横から照らし、雨粒は宝石のように輝いている。
男は帽子を外すと、上下に振って水を落とした、そのまま帽子を少女の頭に乗せ、笑いながら最後のグミを頬張る。

「あばよ、今日は世界のどっかでは『クリスマス』って日らしいな、なんでも白い髭を生やしたお爺さんが子供達にプレゼントをする日だそうだ、その帽子はあげるよ、名も無い旅人サンタから君へのプレゼントだ」

一面の海に架けられた一本の橋、そこには朝一番の商隊達が列を成して出入りしている。
名も知らない男の姿が見えなくなり、少女は天を見上げる。

夜も明けて、雲の上に青い空が現れた頃には、少女は帽子を深く被り、涙を拭って立ち上がっていた。


◆◆◆◆◆


「へぇー、雪か、懐かしいもんだな、うーん絶景絶景」

とある年のとある日に、かつて「雨の街」と呼ばれた場所では始めて雪が降り。
『街の傘』と呼ばれる巨木には雪が降り積もった。


◆◆◆◆◆


溢れんばかりの日光は、青色の空と共に地を照らし、真っ白に染まった巨大な木からは木漏れ日が溢れる。
大きな車輪が石を跳ね飛ばし、お返しに振動を返してくる。
寂れながらも少し明るい雰囲気の道を進む商隊に揺られながら、何気ない会話を紡ぎだす。

「ついこの前までは『雨の街』なんて呼ばれていたんだが雪が降ってからはずっと快晴続きでね、珍しいこともあるもんだな、今もまだ街ではお祭り騒ぎだろうよ、こうなりゃレインツリーもまた別の名前になるんだろうね、面白いもんだ」
「生きていれば面白いこともあるさ、俺はあの木の天辺で羽根の生えた女の子に会ってきたよ」
「はは、中々に面白い冗談じゃないか、で、次はどこへ行くんだい?その恩人とやらを捜しにいくのかい?」
「そうだな、この世界の反対側にでも行くつもりさ」

自分の目では見れないものがある、人が沢山いるのは、自分が見えないものを教え合う為、鏡が作られたのは、自分を見て考える為、それは一つの旅であり、それがまた楽しい。
男は足を組みなおすと荷物から袋を取り出した。

「店の人に貰ったんだ、ブルーグミいるか?」
「へへ、お節介な人だ、あの街から出てきた人間は腐るほど持ってるの知ってるだろうに」

帽子が無くなった男はグミを口に放り込み、髪の毛を指でいじりながら小さな羽根の入ったビンを取り出すと、青空を眺めながら微笑んだ。


「良い旅をな」


男はビンを握り締め、静かに目蓋を閉じた。


―――彼らが会うことは二度とないだろう、しかし巨木のある街にいた二人は今でも世界を巡っている
晴れて、曇って、たまに雨が降る、そんな世界を歩く彼らは、今もその足で小さな一歩を重ねているに違いない



悲しみに溺れる前に天を見よ
迷い帰れなくなったのならば見続けよ
降り注ぐ雨は永遠に地を打つことはない
ならば鏡を見よ
その雨も同じである、信じたものを希望とせよ、それが汝の傘となるのだ
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