ぷちくんの人生攻略話-2「原理原則の理解」が人生を攻略する
【※注意※】
モノチプロジェクトは「元気」と「創造性」を世界に広げるプロジェクトであり、いかなる「政治、宗教、思想」に対しても中立な存在です。
当プロジェクトの企画・運営・原作者である「ぷちくん」は個人としての信念や人生哲学をもっており、それらに従って本プロジェクトもまた運用をしていますが、モノチプロジェクト自体は原作者の思想に対しても中立です。
その為、これらは「元気と創造性を世界に広げる」目的を達成する為の、役に立ちそうなアイデアの「紹介」という形式の記事であり、皆さまの人生方針やモノチプロジェクトをご利用する上で記事の内容を「参考」にするのは自由ですが、何らかの制限や強制を与える目的のものではありません。
また、ご利用の際はガイドラインを遵守し、「教育目的、紹介、軽いパロディ」を超えるような目的で本プロジェクトを「政治、宗教、思想」の表明に利用することは、ご遠慮くださいませ。
【原理原則とは?】
皆様こんにちは、ぷちくんです。
今回は『「原理原則の理解」が人生を攻略する。』について話していきたいと思います。
原理原則の意味についてはこのように書かれていました。
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「原理原則」とは、物事の根本や基本的な決まり・法則を意味する言葉です。
「原理」は物事の根本的な仕組みや法則、「原則」は原理から導き出される決まりや基準を指します。
原理と原則を理解することで、思い込みによる判断をなくし、真因を突き止めることができます。
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つまり「原理原則を見定める」ことで、「あらゆる物事に対する意思決定を正確に行うことができる」ようになります。
これはつまり哲学なのですが、私が最も得意とすることでもあります。
皆様もそれぞれ人生の中で身に着けた様々な特技があると思いますが、私はこういった「物事の本質を見極め、原理原則を導く」ことが特技なのです。
原理原則は本当に色んな物事の判断に役立ちます。
例えばあなたが何かの選択を迷った時、それをどのような基準で判断しているでしょうか?
商品を買う時であれば、「値段」や「お財布事情」、「本当に今必要なのかどうか」などと、色んなことを考えますよね?
ではなぜ悩むのでしょうか?
それは「今の自分のこと」や、「今後のやりたいこと」や「やりたくないこと」、「人生の目標」や「いつまでに達成したいのか」など、それらの多くがぼやけているからなのです。
フワッとしているから悩むわけです。
もしあなたが「今日はカレーを食べたい!」と本気で思っていたらどうでしょうか?
スーパーに足を運んで、カレーの材料である「カレールー」や「ジャガイモ」、「人参」、「肉」なんかのそれらを買うことを悩むでしょうか?
きっと並んでいる「ジャガイモ」のどれを買うか悩むことはあっても、買うこと自体には悩まないと思います。
なぜなら「カレーを食べたい!」という気持ちが本物であり、それを達成することで「幸せ」になると信じているからです。
これは家庭的な例えですが、要するに人生における重要な選択でさえも、「今日はカレーを食べたい!」の延長でしかないわけです。
「どんな仕事をする」「どんな趣味をする」「どんな人と関わる」
人生を大きく決めるような出来事は考えるべき要素が非常に多く、思い悩むのは仕方のないことです。
ですがそれらも事前に「原理原則」を自分なりに理解し、人生の芯に据えることで、正しい決断を容易にしてくれます。
もちろん私も色んなことで迷いますし悩みますが、この「原理原則」を深掘りしていき理解を深めることで、迷いと後悔をどんどん減らすことができています。
これから私がどのように物事を考えているのかシェアしますので、もしあなたが何かに迷っているのであれば、私の考え方は一つの参考になるかもしれません。
そしてこれらのシリーズは全て、私の思う「原理原則」に基づいて判断している内容になります。
それではいってみましょう。
【最大の原理原則】
最も大きな「原理原則」とは何でしょうか?
もし自分で考えてみたければ、ここで一度読むのをやめて考えてみて下さい。
もし自分なりに考えがある方は、私との意見と比較して楽しんでみて下さいね。
最大の「原理原則」は、この世の全てに適応される「真理」と言えるでしょう。
全ての物事はそれに従い、機能することになります。
実を言うと私はこれを、中学生か高校生くらいの時に哲学者気取りであれこれ考えている時期があったのですが、その時に「人生において一番の悟り」だと思ったものがこの答えとしてあります。
驚くべきことにこの答えは、十数年以上経った今となっても変わっておらず、これ以上に納得のいく答えはどのような知識を得ても今の所見つかっていません。
もしかすると、今後の経験次第でアップデートされるかもしれませんが、ひとまずは十数年の時の試練に耐えるだけの「原理原則」を、幼いながらに見つけた子供の頃の自分に拍手を送りたいところです。
では私は何をこの世の「真理」だと思っているのか……
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【世界の真理】
世界の真理……
それは「差と運動」です。
これは「調和」や「バランス」とも言い換えられますが、この世の全てのものの働きはこれに当てはめて考えられると私は思っています。
「明るくなって、暗くなる」
「うるさくなって、静かになる」
「温かいものが、冷たくなる」
「幸せを感じ、不幸を感じる」
「生まれてきて、やがて死ぬ」
いかがでしょうか?色々と思い浮かべてみて下さい。
恐らくは私達の観測しうる本質的な全ての営みは、この「差」を埋める為の「運動」によって発生しており、想像するにこれらは「振り子」のようなものなのでは無いかと思っています。
「壊れて生まれ、生まれて壊れる」
形を変化させつつも、その運動を繰り返しているのが世界の歴史そのものなのです。
輪廻転生なんかもこれと近い考えかもしれませんね。
この「差」と、それらを埋める「運動」の考え方は、私が語る哲学的な話を理解する上で”最重要”のことなので、ぜひ気に留めて読んでみてください。
スケールの大きい話でイメージが湧き辛い人もいるかもしれませんが、これらは今後話す全てのことにも当てはまります。
「人生を幸せになる方法」といったテーマも、言い換えれば「どのような差を、どういった運動により埋めるか」という話になってくるのです。
そういった具体的な話は今後沢山していくとして、今回はこの「最も大きな原理原則」について私なりの考えを語らせて頂きますね。
【世界は無数の振り子を内在する、巨大な振り子のようなもの】
「世界は無数の振り子を内在する、巨大な振り子のようなもの」というのはどういう意味か。
これは世界自体が「巨大な振り子」であり、その中にある自然や、文明、私達人間や、私達の行動、考え方、ありとあらゆるものは「無数の振り子」という意味になります。
これはたとえ話ですから、別に「振り子」じゃなくてもいいのですが、振り子がわかりやすいかなと私が思ってそう言っています。
「振り子」というのは、糸にぶら下がったボールを引っ張って離すと、一定のリズムで行ったり来たりする、アレです。
右に左に、左に右に、それは行ったり来たりし続けます。
これはその間に「差」があり、それを埋めるために「運動」をすることを示しています。
現実の振り子は「空気抵抗」や「摩擦」、「重力」などによる「エネルギーの分散」が理由で最後には停止しますし、人間も「怪我」や「病気」、「老衰」などの理由により最後には死に至り、停止しますよね。
これらは内在するエネルギーが運動により分散していくことで生じる最終的な現象であり、この宇宙という振り子もどこか外側にエネルギーを分散し続けているなら、いずれは止まることになるでしょう。
ですが生物はなるべく長く「振り子の運動」を続けられるよう、生命活動を行います。
食べたり、寝たり、働いたり、種を残そうとしたり。
最後には耐久性の問題で死にますが、自分の遺伝子を残したり、あるいは自分の行動で誰かに影響を残せば、例え”個”としての運動が終わったとしても、自分という”要素”を世界に繋いでいくことができます。
皆様はどう思いますか?ぜひ色んな物事に当てはめて考えてみて下さい。
もしこの考えに納得をするようでしたら、あなたは今日一段階、世界への解像度が上がったことになりますね!
【世界の始まりについて考えてみる】
さて、今回の肝の部分はもう話したので、ここからは余談です。
つまりは「世界の始まり」について私なりに思ってることをシェアしたいと思います。
「世界は巨大な振り子のようなもので、耐えず両極を行き来して差を埋めるべく運動している」と言いましたが、ではその「振り子」は最初にどうやって動き出したのでしょう?
現実の振り子であれば、誰かが弾かない限り止まったままですよね?
世界もそうであるなら、一体すべての「差」を発生させ、それらを埋めるために右往左往する「運動」の起源とは何でしょうか?
科学的には宇宙の始まりは「ビッグバン」という説が有名ですね。
私は専門家では無いですし見たわけでもないので実際のことは分かりませんが、賢い人達が沢山研究をしてそう結論したなら、そうなのかもしれません。
どデカい爆発が起きて、あらゆる物質や運動が発生し、宇宙が広がりできたのだと。
私が想像するに、破裂した超巨大爆弾の、回転しながら飛んでいく破片の一つが「地球」、みたいな話なんでしょうかね。
だとすれば、次の疑問が浮かんできます。
その「ビッグバン」は一体何が原因で起きたのでしょうか?
その答えを証明できる人は、恐らく今のところいません。
仮に今後天才的な誰かがビッグバンを起こした別の要因を見つけて、証明ができたとしても、「ではそれをさらに引き起こしたのは何なのか?」となっていきます。
この果てしない宇宙への疑問に対し、漫画の神様である手塚治虫大先生は「火の鳥」で面白い表現を描きました。
そこでは「不老不死を得た男」が「火の鳥」に導かれ、世界の真理を目の当たりにするのですが、彼が見たのは「私たちのいる世界とこの宇宙は、想像を絶する巨大な何かの細胞のたったの一粒であり、同時に私たちの細胞の一つ一つの内側には、想像を絶するほど小さな世界の宇宙が広がっていて、それらは上下で果てしなく繋がっていて、無限である」という真実だったのです。
もちろん、これらは根拠もなければ証明もできない解釈の一つに過ぎませんが、私はこの解釈がとても美しく感じますし、大好きなのです。
もし宇宙が巨大存在の細胞なのであれば、「細胞分裂」こそが「ビッグバン」に当たるのかもしれませんよね。
筋は通ってるように感じますし、根拠も証拠もないですが、私は何となくこの考え方を信じて生きてきています。
とはいえ、こんなことを考えるのは「楽しさ」以上の何かがあるわけではありません。
宇宙の本当の始まりなんて、ちっぽけな人間が知ったところで何の役にも立たないスケールの話です。
果てない真実の探究も素晴らしい挑戦ではありますが、今それを考えても腹は膨れません。
よって過去の人々は終わりなき探究に区切りを付けて現実の問題と向き合う為、それらの始まりや今日に至るまでの理解不能な全てを「神の御業」と考えることで、平穏を得たのです。
私自身は特定の宗教を信仰しているようなことはないのですが、「世界を始めた理解を超えた力」があることは信じています。
もしそれが意志を持つ何かで、この世界の振り子を最初に動かした存在であるならば、私はそれを「神様」と呼びたいと思います。
私の目的(恐らく皆様にとっても)は「人生に勝利すること」である為、その目的を達成する必要性以上の「原理原則」を追い求めることはしません。
よって私の生きる指針の根幹であり原理原則は、「差と運動」と定義します。
今のところはこれで問題を感じていませんし、今後の私の話もこの原理原則に根ざして語られるものになりますので、ご了承くださいませ。
【最後に】
今回の話も楽しんで頂けたでしょうか?
この「ぷちくんの人生攻略話」シリーズでは、「人生を豊かにし、皆で人生に勝つ」ために役立つ話を展開していきます。
それらは精神的な部分も含め、ありとあらゆるジャンルに渡って行っていく予定ですので、ご期待ください。
面白ければぜひ「拡散」や「登録」などで応援して頂けますと幸いです。
それではまた!
Win to Life together.